
■ 「中国大返し」の本当のキモ
備中高松城の水攻めにあたっていた羽柴秀吉が、本能寺の変の第一報に接したのは天正10年(1582)6月3日の夜である。
明智光秀は2日の未明、本能寺に織田信長を襲い、直後に毛利方に密使を発していたが、これが秀吉軍に捕らえられたのである。
ここからの秀吉の動きは速かった。備中高松城主の清水宗高を切腹させれば包囲を解いて城兵を助ける、
との条件を毛利方に持ちかけて停戦を成立させ、6日には備前まで撤退。世にいう中国大返しの始まりである。
光秀が畿内制圧に動き出した8日、秀吉は居城の姫路城に着く。
3日後の11日、光秀が畿内諸将の支持を得られないことに焦りを募らせていた頃、
秀吉は大坂に入って摂津方面の織田方諸将を糾合にかかり、13日には山崎の合戦で光秀軍を破るのである。
秀吉の中国大返しについては、これまでも、万単位の軍勢をなぜ、これほどすばやく移動させられたのか、
兵士たちの食料をどう確保したのか、という問題が取りざたされてきた。しかし、軍勢の移動については、筆者は特段不思議だとは思わない。
なぜなら、秀吉軍は自軍の補給線を逆にたどっているだけだからだ。
まず、備前は秀吉に従っている宇喜多氏の領国で、備中戦線に対する秀吉軍の出撃拠点だ。
そうである以上、万一備中戦線が危機に陥った場合、備前まで退却することは最初から織り込み済みである。
次に、もともと近江の長浜を居城としていた秀吉は、播磨を平定し、中国方面軍司令官に任じられたことによって、姫路を居城としていた。
つまり、この時点で姫路は、備中戦線に対する後方支援基地なのである。当然、兵糧などの物資も備蓄されている。
であるならば、まず備前まで退却し、そこから腰兵糧(携行食糧)をもって姫路まで走れば腹を満たせる。
いったん兵を休ませ、姫路から腰兵糧をもって東に向かえば、2、3日で大坂に着く。
大坂は大都会だし懇意の商人などもいるから、兵糧の調達はどうにでもなる。こう考えるなら、軍勢の急速な移動そのものは不思議でも何でもない。
中国大返しの本当のキモは、秀吉の判断の速さに求めるべきだろう。
変事の第一報に接するや、ただちに戦線をペンディングさせ、軍を反転させる決断をためらわずに下し、実行に移したところが、秀吉の勝因なのである。
この秀吉の迅速な決断についても、不思議がる人が多い。6月3日夜の第一報の時点では、情報の真偽も信長の安否も確認できていないからだ。
毛利方への密書を謀略と疑うことなく撤退を決断できるものなのか?
いや、それをいうなら、このタイミングで光秀からの密使を捕まえた、という話そのものが出来すぎではないのか?
現状では、戦国史研究の第一人者のである先生方までもが、こうした点に疑問を呈し、
秀吉は光秀が謀叛することをあらかじめ知っていたのではないか、などと大まじめに論じている。
しかし、秀吉の迅速な判断と行動は、筆者にいわせれば不思議でも何でもない。
秀吉が置かれた「現場」の状況を「作戦」という観点から分析すれば、むしろ当然の判断とすらいえる。
どうも、研究室で史料や論文を読んでいる先生方は、戦場という現場で起きている事件を、「軍事」という観点から理解することが苦手のようだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8031121986b9be4fbd728e468a2aec7b70c2262f
引用元: ・【歴史】実は不思議でも何でもなかった、秀吉の「中国大返し」 [ボラえもん★]
もう速報でもニュースですらない
所詮学者の論文なんて机上の空論だからな
食糧なんて2、3日食わなくてもどうでもなるし
その時代の人間なら野草でも食ってける
そんなお前の感覚が、飢えたことのない平時にいるからできる空想。
数日の空腹に大規模な軍隊が耐えらたり、野外での食糧調達が簡単なんて現実はない。
その意見には同意するわ
軍事的にありえない事を平気でああだこうだいうからな
>毛利方への密書を謀略と疑うことなく撤退を決断できるものなのか?
この件に関しては、
おそらく、歴史家は重要な項目を見落としているだろう。
すなわち、すでに当時、「情報戦」をやっていたことである。
桶狭間の奇襲が成功したアト、
信長は、その功績が第一位として、今川義元の所在場所の情報をもたらした武将に報償を与えている。
また、信長と甲賀忍者との関係は緊密であったという。
さらに、徳川家康と伊賀忍者との結びつきは有名である。
こういう時代に、
総大将の信長のいる京都から遠く離れて中国地方で戦いをせねばならない秀吉は、
京都中央の情報をプツリと断たれたままで、単独で中国の毛利を相手にすることはないだろう。
つまり、秀吉は、常に信長周辺に大きな動きや異変があれば知らせるように、京都に諜報員(忍者)を配置していたのは確実であろう。
で忍者はメールで写メつけて情報送ってんだろ?
間抜けは当時の情報伝達を知らない。
また、阿保チョ●の寝言かいw
まあ、京都から秀吉のもとに駆け付ける忍者のスピードは、
光秀の信長●し成功の密勅を毛利へ届けようとした伝令のそれよりも、同等か或いは若干速かっただろうな。
要するに、秀吉は、少なくとも2つのルートから、信長の●を知ったということだ。
お前にとって文を送るってのはメール出す感覚なんだろうな。
ここら辺はどうやっても理解できない連中がいる。
>>179
おやおや、当時の通信速度内容を理解もできない低脳は国籍押し付けして韓国韓国言ってないと●んでしまうネトウヨでございましたか。
劣等民族のチョ●の低能が、何かネゴト言ってるなw
秀吉配下の忍者の通信速度は、毛利の密勅使同様に、京都から秀吉まで「早馬」で2日だろうな。
そもそも信長家臣の目から見れば光秀謀反の芽はあったからね
秀吉もその可能性を十分に認識していただけの事だろう
なのに、呑気に少人数で寺で休んでた
信長の無能な事よ!!wwww
なんだよ新たな事実が見つかったのかと思えば
「ぼくはふしぎにおもわない」だけかよw
お前の感想なんてどうでも良いんだよ
密偵を捕まえたところで数日で徒歩の大軍を移動するとか無理だって話をしてんだよ禿げ
そりゃそうよ
元々秀吉に限らず織田軍団の移動の速さはいつも通り
信長の無茶ぶりに一番振り回されて鍛えられていたのが秀吉軍団www
そして姫路までの沿道は、信長本軍を迎え入れるために万全の準備をしていたから、補給線もばっちり
あと、秀吉はもともと蜂須賀党を使った諜報部門でのしあがったんだから、諜報戦はお手のもの
だから、疑うべきは秀吉の方ではなく、間抜けな毛利の情報音痴の方www
で、その迅速な織田軍団筆頭殿以下なんで秀吉の速度の足元にも及んでいないんだ?
そりゃあ、さっさと動けって怒鳴りつける信長様がいないんだからwww
信長に怒鳴られなくても、普段通りに素早く移動できたのが秀吉
どうかな?
10日が1月に変わる程度ではないかな?
>>194
この時期の各軍団長は独自裁量で必要なことを行う全権を持っていたし、実際それを使って戦っている。
信長がいなくなったら動けないような馬鹿では軍団長にはなれない。
なお、息子たちは、、、
信忠さんが生き延びれば…
コロンの卵って知ってっか?
コロンダの卵
この続きは
今の総理に決断力が無いことをディスる内容になるのかな
確かに密偵が秀吉が包囲している備中高松城に行くのは、捕まるリスクを考えるとおかしいよな。
行くならもっと遠くの毛利側だよな
ドラマにしたら面白そうなのに
なんで大河で端折るかね
麒麟=日本を統一して戦国の世を終わらせる者=秀吉
麒麟を呼び寄せた者=光秀
家康は秀吉の天下を奪い取っただけ
こういう図式・プロットの方がドラマになったのにな
俗説程度のことを針小棒大に取り上げて皆わかってないなあとドヤり
自分は真相を理解してる雰囲気を醸しつつ
具体的な明言は避けてウヤムヤにしそう
なんか知らんけど最後のほうは、自分は軍隊を率いていたことがあるかのような言い草だな。「足軽ってのはなぁ、こうやって動くもんなんだよ!」みたいなw
大先生方に干された恨みを晴らしてるのかww
そんなだからだめだったんだろ
そうじゃねーだろ
武器弾薬込みで、まともな街道が整備されてない当時に、どうやってあれだけの大軍が素早く移動できたかって話だろうが
着の身着のままで山崎まで帰ってきても光秀に勝てるわけねーだろ
甲冑着てそんなに早く移動できないから、どうやって武器を輸送したかって話だろうに
何十キロもの荷物背負って、岡山の山の中から京都まで歩いてみろと
まさか東京マラソンとかで大人数があんだけ早く動けるじゃん!とか言ってるなら草
山崎の戦いは移動してきた羽柴軍は後詰で
先方は地元の高槻とか茨木の武将だからな。彼らは移動してない
美濃大返しの時は走って行ってそのまま戦ったんだから
「これくらいならいけるんじゃね」っていう実体験を中国大返しの時にしたんだろうよ
>備中高松城主の清水宗高を
清水宗治なら知ってる(´・ω・`)
普通に考えて秀吉の中国大返しにはあまり謎はない
今の歴史家が信長や秀吉を舐め切っているだけ
で一番の問題点は明智光秀の子孫にある
明智光秀可愛さあまりに時々とんでもない事を言い出す
明智光秀は悪くない、黒幕がいるから明智光秀は謀反したと言い出して
全部他人のせいにするのな
だから秀吉の中国大返しも秀吉らしい機転の利いたものなのにおかしな方向に話が進んでいく
そして信長も悪者にされ被害を被った息子の信忠や森蘭丸も悪者にされるか無視される
万事がこの調子で明智光秀の子孫の言う事には逆らえないのが現状なのな
それが個人の情に流された明らかに間違えている解釈でもな
明智の子孫、理系の研究者さんだかは光秀賛美してないぞ
客観的にきちんと現存してる書物を参考に書いてる
いやいや、それはないって
完全に情に流されているから
NHKでやっていたな。夏場だし褌一丁で兵卒は走って帰ったんで、マラソンだったんだ。
当時は貸し兵装があったんでそれが可能だったんだ。
兵糧以前に、集団行動であの速さが凄いんじゃねーの?
それこそ飯は2日分あればいいわけだからw
戦場は現場で起きてるんじゃねぇ会議室で起きているんだ!だっけ?
明智光秀の子孫の呪縛解けばなんの問題もないんだがな
平安時代から牛車は存在したし、馬も騎馬隊のように活用されていた
まあ繰り返すけど明智光秀の子孫はやりすぎ
完全に歴史をおかしな方向に誘導しているよな
秀吉の中国大返しにも何の問題点もないんだけどな
光秀は農民に●されただけなのに
秀吉好きが異常だよな
秀吉は慕っていた信長が●されたので怒り光秀を討っただけ
そこの部分で秀吉を嫌う人間なんて当時は存在しない
今でも秀吉を憎む光秀子孫を含むファンの方が悪いだろうよ
あいつはマジチートだからな
柴田は、本能寺の変がデマや上杉の謀略でないか確認する使者を畿内に送ってるからね
確認だけで1週間はかかる
一方秀吉は、知った翌日に毛利と講和して猛ダッシュだもの
柴田って今の日本人ぽい反応だなw秀吉の決断力が優れているだけかもしれないけど
何もせずにに情報収集って当たり前と思いがちだけど、戦時においては割と悪手だと思うのよね
秀吉は確信していた。実は光秀とグルだったから、というなら分かるね
光秀は当初北陸方面は警戒してたけど中国方面はさほど心配してなかったという
秀吉は事前に知ってて信長を見●しにして途中から光秀を裏切って自分の手柄にしたのかもしれない
かなり前からから集めてないと無理だろ
お前は中国地方で苦戦している秀吉を助けろと命じられたら、すぐ連れていける数百の手勢で支援に行くのか?
使えない間抜けだな。
そういう味方は邪魔なだけだ。
どこぞの馬の骨にめっちゃ怒られててワロタ
自粛警察やってそう
なんだ?本圀寺の変で10騎足らずで駆け付けた織田信長をディスってんのか?
鎧、具足は後から別の隊がまとめて輸送したということですか?
あるいは姫路城、大坂あたりに予備を置いていたとか。
何にせよ秀吉は機を見るに敏、用意周到、そして従来のやり方に捉われない柔軟性があります。
その戦の巧みさ、システム再構築に見られる合理性は少し前の時代の高師直のようです。
通り道の村々に金銀をばらまいてマラソン競技の中継地点のように握り飯や飲料水を準備させ
兵たちはそれらを走りながら喰らったとも言いますね。
鎧などの具足は水路で運んだとみる説もあるな。
それが一番説得力あると思う。
AVみたい
(´・ω・`) またハゲのスレ立ってる
「おもてなし武将隊」
北畠の進軍や元寇たたかえるの
ポニーのって我こそはとか名乗るの笑えるのだが?
元寇側に日本の馬小さすぎワラタ
みたいな記述ないのか?
唐との貿易があったからサラブレッドも入ってきておかしくは無い
元寇との戦いをすぐに描かせた武将の絵があるでしょ
あれポニーに見えんよ
サラブレッドって1700年くらいからの話と違うんか?
18世紀以降のものが入ってきてたらあからさまにおかしいけど
黒歴史だからほとんど記録されてない
ポニー説は基地外の妄想だから無視して
分類上ポニーに属するがポニー種の中でも最大級の大きさだ。18世紀ヨーロッパで騎馬に
使われたノーリカー種の体高が150㎝程度だったのに対して木曽馬の体高が136㎝。日本人
の体格が西洋人よりも小さいことを考慮すれば在来種で十分騎乗できる。それに、、元寇で
モンゴル軍が撤退時にペイロードを確保するため大量に遺棄したモンゴル馬との交配も進ん
でおり在来種よりも大きくなっていた。
世界席巻した
モンゴル騎兵もポニーなので
その名乗りも今では否定されてきてるし、ポニー説も本当かどうか分からんわ
むしろ本当にポニーなら、元軍も朝鮮出兵の朝鮮軍、明軍弱すぎということになる
朝鮮出兵の際には大規模な戦闘で騎馬戦は起こっていないからね。
基本的には火力戦。
蒙古馬もポニーだが
当時の鎌倉武士たちは世界一の重装弓騎兵だから馬の速さなどどうでもよかった
屏風絵なんかに書かれてる馬はそれなりにデカいしな
昔の人は小さかったとはいえポニーの大きさじゃねえわ
ポニーに重装備の武者が乗って移動出来るのかな?
ポニーとミニチュ●ースを混同してないか
ポニーや木曽馬は結構大きいぞ
乗ってる人間もめっちゃチビだったし
むしろ自分が高松城に専念してると見せかけて光秀に決起を決意させた
高松城を水攻めにしたのは追撃を封じて大返しするため
高松城包囲は文字通り水も漏らさぬ完全包囲。
極端な話、敵方が停戦を拒否して、大返しに動いた秀吉を追撃しようとしても、そもそも無人となった包囲を抜けられない。
実際には追撃できる兵士はその頃ほぼ城内にはいないから、タイミング的にはベストなの。
天才Qちゃんにお願いすればな。
毛利は、何度もチャンスがあったのに
全てスルーしたからな。
幕末の狂ったほどに倒幕の毛利の先祖とは思えんわ。
豊臣政権で毛利は大大名になっているんだから「見」で正解
実際関ヶ原の時、毛利は身内の妨害で戦闘に参加できず全所領を失っている。
その身内は忠義で妨害していたのだから、相当レベルが低い。
自分の全所領を差し出して主家を救うほどの忠誠心と現実判断のレベルの低さの混在は相当人材がいないことを示している。
関ヶ原で戦わず所領の大部分を没収されたから
その反省もあって幕末は最後まで戦う覚悟だった
らしいね
無い。
でっかいダム湖の中に閉じ込められて数ヶ月。
停戦を拒否しても秀吉は単に帰るだけ。
清水氏側に追撃余力はない。
籠城勢力だけじゃなく
毛利の援軍来てただろ・・・
援軍の目的は兵糧を入れることで、秀吉が撤退したらとりあえず味方を助けに動く。
城に入れるはずの兵糧をうっちやって秀吉を追撃するには秀吉を追撃せよという新たな命令が必要で、そのためには本能寺の変他の情報を毛利が理解している必要がある。
宇喜田がいるから無理
そもそも毛利は宇喜田相手に苦戦してて、秀吉が帰っても宇喜田の1万が丸々残ってる
宇喜田は備中兵乱であっさり毛利に滅ばされた三村とは次元が違うぞ
直家いないから、秀吉(織田の財力)のバックを失えば宇喜多はまともに戦えない。
信長についた三村は毛利にあっさり滅ぼされたが?
宇喜田は毛利を裏切ったのに毛利相手に余裕で持ちこたえてたぞ
直家●んで秀吉来る前も余裕で跳ね返してた
宇喜多は結果を見れば当時の武将の中では稀代の戦術家なのは間違いない。
武田信玄を翻弄した長野氏を10倍以上スケールアップした防衛戦を勝っているし、その後も島津や朝鮮、明と難敵をバッタバッタと倒している。
不思議でも何でもない
光秀のスマホかよ
筒井康隆だね
家康が天下取るまで待て
「麒麟が来ない」に番組タイトル変えないとな
サントリーが来た
マヌールの夕べはよ
首を長くして待ってたのにな
麒麟はきちんと来ていただろ
漫才の麒麟だが
ナレーションだが
キリンさんが好きです。
でもゾウさんのほうがもっと好きです。
では私のぞうさんを(ボロン
来なかったよね。
当時は従軍時は3日分の食糧を携行するのが標準仕様なんだよ。
だから、大軍での移動でも、別途輜重隊を併設していなくても短期的には行動可能。
例えば姫路城に軍が入って、その際に食糧を提供されればそれを持つのは当たり前。
ちなみにこの頃はまだ最初の3日分は従軍側手配が基本だが、それも動員側手配に変わっていく。
中国大返しもだが、その後の動きが迅速で的確過ぎる
周りがキョトってる時に、何の迷いもなく地盤固めたのはいくらなんでも手際良過ぎだわ
むしろ共謀してたかも
これやられたらどうするつもりだったんだろ
ちょっとでも行動が遅れてたら失敗してた
この時期の秀吉は日本史上最強の男
いや早い、早すぎるだろ。
光秀は嵌められたんだよ
信長が備中に向かうはずだったのよ
だから秀吉は行軍しやすいように道を整備して
道中で信長をもてなす準備はしてただろう
1582年の文献を見ればわかるけど信長が領内に来たら
その領地の部下は信長をもてなす慣わしがあったのよ
5月だったと思うけど信長が美濃から安土に向かう道中で
信長は5,6回のもてなしを受けてるのが文献に残ってる
あと秀吉のことだから信長本体到着とともに降伏させて
さすが殿とかやる準備はすでにできてて
備中高松城は降伏勧告を待ち望んでたと思われる
なるほど(*^ー^)ノ~~☆
面白かった
現在の軍事、戦略、考察にも応用できるよ
基本は戦国時代とかわらん
北畠顕家はありゃ絶対に無理だ
日付とか記載ミスしてるはず
(髪型を)秀吉に冒険してみました
それまえにやったやろ的なCMやってるな
神速の移動は後世のでっち上げ
光秀の誤算はまさか毛利が和睦にこんなにも早く応じるとは思ってなかったのと
加勢を見込んだ細川らに無視され天皇も動かず迎撃準備が1週間近くも遅れた点である
我が家に~
花の香りを添えて~
そうだな
織田信長は在日コリアンだもんな
自称子孫の目の細さを見れば明らか
必要以上な量を持ってた。
それに、前線に有った食料も輸送するのだから、先に行く連中が行く先々で住民から
米を借り、あとから付いてくる荷駄隊が返してまわるという方策もある。
荷駄隊が持ってる量は1日分じゃないから、二倍三倍にして返すって形にすら出来る。
それに、道中の拠点にも兵力が駐屯しているので、備中に居た雑兵の全てが、山崎
まで付いていく必要はなく、途中の拠点で入れ替えれば良い。
毛利と和睦して公然と撤退を開始する以前に、少しづつ撤退を始めても構わないの
だし、全部隊が用意スタートでこの時間から出発してこの時間に付くのは無理とか考え
ることに合理性がない。
秀吉や古い家臣は長浜に残してきた家族が心配だし、一刻も早く帰りたい心理もある。
大返しは無理とか言ってるほうが無理がある。
本物の明智軍は飛び込んだらしいが
勝ち残った人なんだから判断力も尋常じゃなかったんだろ😙
逆らったらハブられる。
で、のったふりして、光秀を裏切ったと
その説は大阪にいる丹羽長秀と信孝がすげえ邪魔じゃね
どうするつもりよ
そのあたりから噂は聴いていて、信長派閥だったから冗談だろと聞き流していたら
本当に知らせがあって、飛び戻ってきたが一番打倒なんかね?
きな臭い噂は一族から聞いていたなら、知らせをうけてすぐに戻れる
他が全員モタモタしない限り秀吉に勝ち目がなかったことは無視。
圧倒的に有利なのは丹羽長秀と信孝の二人だからな。
丹羽と信孝がモタモタし過ぎなんだよな
父や主君の復讐するきならすぐできたろうに
信長を討った兵力の多寡がわからないのと、光秀自身の人徳がそこまで高くない事が逆に黒幕と援軍の存在を暗示しているようで動けなかったんだろう
逆に最強の毛利軍に使うための最大戦力が手元にあったから、秀吉が一番決断を早く下せた
その大戦力とやらは帰れたけれど疲労で使えなかったけどな。
あの秀吉が手勢ひきいて帰ってきた!って感じに宣伝して畿内の勢力味方につけたから勝ったんだよね。
当時どちらも軍勢は連れてきていない。
馬鹿は本当に馬鹿。
俺もそう思うわ
秀吉軍に毛利の旗がまじってたというのが怪しい。
光秀、秀吉、毛利で信長を討とうという計画があったのかもしれんな。
光秀が秀吉と組むなんてありえないな
裏切られたらお終いじゃん
ライバルを信用するなんて無い無い
草鞋ぐらい履くわ
周辺の地域の住民も全部協力させたのがすごいんだろ
兵糧を定期的に補給するための方法は?
・本陣に兵糧を大量に保管(えへへ)
→本陣を動かすときに邪魔。追われているときにもって逃げるん?○○なん
・定期的に必要量を運ぶ
→どうやって?どこにおまえらおるん?
→陣を知ってる人間を落ち合う場所に向かわせる
→絶えず、これをやらなアカン
つまり、そもそも密偵云々いうより、ここで繋ぎがつくし、後方と連絡になる。
異変の察知など、知ってて当然のこと。
ダダ
鎧や具足なんかは船でピストンして
兵士は軽装で陸路を走らせたんだろう
拠点の城にはもう十分に輸送済みだっただけだろ
カウンターくらった時に論理的に受け止められなくなりそう。
信長の幕引きの。もちろん信長自身が望んでた
信長は秀吉に座を譲り、光秀は天海となって家康を支えた
信長は暗●を装って、山奥で隠居したんだよ。
ノブ周辺をスパイしてたのは間違いない
信長が織田家の先が見えたから
武田の二の舞はごめんだ他家に継ぐと言って
秀吉と光秀に協力してもらい
織田家総引退劇を演じただけだろ
(そのまま信長が猿が継げと言ったところで
勝家とか絶対歯向かうからな)
謀反役を選んだのが信長なのか光秀が立候補したのか知らんが
すべて決めてから実行したこと
だから信長も信忠も光秀も●んでないだろ
面白いな
信長公の偽装引退説か。
信長公「俺、最後は自由に大陸を巡るんだ!」
光秀の家老利三の血縁者をお局様にしてんだから家康は光秀に感謝してたのは間違いない
武田滅亡して家康は要らない子状態だったしな
BどころかZくらいまであるんだろうけど。
信長が●んだとなれば農民が暴徒化する可能性
そこを抑えて撤退兼進軍をした所に秀吉主従の上から下までの統率力と優秀さがある
ロイエンタール麾下のグリルパルツァーだって従ってたぞ、裏切ったけどw
明智先生、人望なかったんですね…
藤孝は元々は十兵衛の上役だからな。
朝倉家に仕えた頃の十兵衛は家来は足軽一人居る程度の身分、その時の藤孝は将軍のお付きだから、どれだけ身分が違ったか。
そんな奴に家の命運託さないでしょ。
藤孝は細川家の養子なので、自分の代で家をつぶすリスクを負えなかった
と磯田の番組で井上章一が言ってた
本能寺での信長の激戦も後世の大ウソだからな
意味わからんわまじで
工兵隊の能力はすごいよ秀吉
そして工兵隊は重要なんだよな
旧日本軍は工兵や輜重を軽視してたけど、工兵隊出身のマッカーサーに
アイランドホッピングされて補給を絶たれて餓●させられジャングルに始末されると言う
悲惨な敗北を繰り返してしまった。
すごい悪人だったんだろうね
サイコパス的な。腹黒さのある人
アマチュアはロマンしか見ていない
逆に軍事や危機管理から物事を見る余り、見誤ったり、
リスクコミュニケーションを理解できない軽視しやすい
面もあるからな。
最終回を迎えた大河ドラマの麒麟がいくでは、
信長が周りの人々から嫌われるようになっていて、
秀吉は薄々光秀が信長を切ると見てたり(これは秀吉だけでは無いが)、
光秀と懇意の細川氏から光秀謀反の可能性を知らせる手紙を貰ってたところを描いていて、
事前に光秀謀反が起こることを準備出来ていたところを描いていたからな。
その解釈には割と納得したが。
しかし、NHKの解釈だと、信長は徹底的に周りの人々から嫌われており、
その信長を光秀に討ってほしいと周りの人々が思っていたのに、
信長を討った光秀に周りの人々がみんなそっぽ向いたのは解せんよな。
また信長を討ち取った後に、光秀は近江に抑えに行かず、
大阪を抑えていたら、秀吉も負けてた説もあるみたいだね。
光秀が梯子を外されただけ
はなから穴2つの一つが光秀のために掘られた墓穴
新幹線で帰ったんやで
筒井康孝の『ヤマザキ』を読んでみ
筒井順慶の子孫の実録手記やでw
ありえない早さってわけでもないんだよな
夜も行軍して1.5倍くらい
姫路城で2日ほど休息してるけど
兵士には姫路に着いたら休息させると言っていたんじゃないかな
それで夜も走らせた
徳川の世で秀吉が悪く言われる→明治政府になって徳川が悪く言われる→今は戦争に負けてキリスト教と朝鮮を懲らしめた秀吉が悪く言われてる状態だね
もっと秀吉の功績を広めて欲しいわ
江戸時代は庶民の間で太閤記が大人気だったんだが
時の権利者が流す話よ
秀吉ぜんぜん悪く言われてないだろw
むしろ明治以降まったくフィーチャーされない家康の方が扱い悪すぎだわw
本当に、それな!!
秀吉と光秀が居なかつたら、今の日本も世界の有色人種の国も、独立国家に為って無い!!
何故なら、信長のバカで無能で白人崇め野郎のせいで、日本も植民地にされてたからな!!
すると、明治維新も無くて今も世界は
白ダニどもの、侵略で世界中が白ダニどもの、奴隷で植民地にされてるから
第1次世界大戦も、第2次も無く、
今も世界は、日本が世界に出る前の
植民地状態が、続いてる。
いや戦ってたりあんまり安定してなかったりして帰れないか
毛利があんまり戦いたくなかったのもあるかもな
それと軍師の黒田官兵衛がいたからな
一気に天下統一だしな
長引かせれば長引かせれるほど有利になるだろ
旭「麒麟など四天王のさんしたよ」
サントリー「してんのーの、つらよごしめ」
札幌「なあに我々がいれば問題ない」
オリオン「そこは我々の席となる。麒麟は来ない」
つ大山崎山荘(アサヒビール)
光秀が公家に送った書状の意味もわかるよね
計画性がないのだから共謀などあるはずがない
秀吉が早く戻れたのは相手が毛利だったという偶然でしょ
もちろん中国攻めが柴田や滝川だったら早く帰れたか疑問だけど、秀吉が北陸や関東に行っていたら早く戻れてなかった
光秀はまず軍勢を翻してくるのは北陸の柴田と予想してたとの見解もあるな
当時の情勢ならそう考えて当然だが秀吉が早すぎた
姫路城に着いた秀吉は場内にあった莫大な金銀やたくさんの兵糧を
残らず重臣から末端の部下まで全員に振舞えと命令してる
勝てば今と比べ物にならない収入になるし秀吉軍の士気は上がる
ただ実際にすべて振舞ったかは記録がない
三成とか少しは残してたんじゃないかな
一方光秀は安土城の金銀財宝を部下にも与えたんだけど
多くは朝廷関係に渡した
自分の意見を認めてもらいたいだけのかまってちゃん
●んで「この世にいないやつ」のおとぎ話はどうでもいい
有名な愛宕の和歌も本能寺の変の1週間以上前であり誰が見ても正常な精神状態ではない
信長から見れば不安で逃亡してくれれば領地召し上げ佐久間の様に追放すれば良いので万々歳で些事に過ぎなかった
しかし人間関係に敏い秀吉は変心乱心を見抜いていた可能性は十分あるだろう
もっとも軍を動かすのは講談のように行かないので大返しの速度は大して速くはない
むしろ光秀が細川、右近、天皇との交渉に5日以上ももたつき、迎撃体制が大きく遅れたほうが秀吉には僥倖だった
もし光秀が決戦ではなく移動を選択していたら反信長勢力も合わせ一定の勢力を維持できただろう
あえてまごついた点に光秀の動揺あるいは精神的問題を見ることができる
>「軍事」という観点から理解することが苦手のようだ。
こういう余計な一言、それも
他者サゲ自分アゲを入れてくる奴の話は一切信用できない。
だから明智謀反の報を聞いても驚かなかった
そうでなければ信長の安否も確認せず、毛利攻めを打ち切って戻った挙句に
もし信長が健在だったら只じゃすまなかった、そんなリスクを排除してまで実行する根拠が必要だろ
こんなカタカナ使う必要ある?
情報収集と分析に長けた武将だし
万一の時にどう戻るかは頭の中にあったはず
俺もカギは黒田官兵衛だと思う
恐らく出兵前には事前に不穏な動きを察知して
入念に準備してたんだろうよ
でなければあんなこと出来ない
黒田如水は、関ヶ原に出陣していて空だったこともあるだろうが、
島津まで攻め込み、あわや九州全土を抑えかけたからな。
力技だけではそんな離れ業は出来なあだろうから、後世のワシらが思っているより名声があったのかもな。
小早川が既に秀吉に調略されていたとしか思えない。つかされてただろ。
その可能性もあるけどそもそも元就が跡継ぐ孫は若い頃●だった俺に似てヤベーから
天下を狙うなって遺言が残ってる
旧領回復がなんで天下になるんだよ。
旧領ってぶっちゃけ切腹した清水の領土しかないしその清水も毛利古参じゃないぞ
宇喜多や鳥取方面も毛利直轄領土じゃないし侵攻やぞ
じゃあ、上杉も北条も侵攻したのにと言葉を変えとくよ。
毛利を動かしてたのは両川だろうから
関ヶ原の吉川のように、秀吉の毛利攻めでは小早川が水面下で敵と調整してたのは想像に難くない
もともと秀吉が京都で外交担当していた時期に安国寺が高く秀吉を評価していて、
安国寺の情報を通じて小早川は秀吉に天下をとらせようとしたんだろ
秀吉政権で小早川は毛利本家同様に厚遇されて、安国寺も大名になったしな
反面、吉川を冷遇して家康陣営に走らせて、関ヶ原の悲劇www
バカだわな!wwww
コイツが、あのまま日本のトップ
だったら、クソ白人に侵略されて、
日本人は奴隷にされとったわ!!
それで日本も他の有色人種国家と同様に、植民地にされて、奴隷にされて、
略奪されて、強姦の限りをつくされ
とったわ!!
ぁア、良かった!!
光秀のお陰と、秀吉のお陰で、白ダニ
どもに、植民地にされ奴隷にされなくて!!
敵より寧ろ信長に対する恐怖が跳ねあがってたとしたら
誰かが謀反を起こして(或いは自身が耐えかねて)結果毛利戦線を放棄しなければならなくなる事態は想定できなくはない
秀吉は織田家中の誰より起こり得るイレギュラーに敏感かつ無駄になるかもな準備も怠ってなかったってとこかな
千や二千じゃあるまいし万の軍勢を動かしたんだから予めロジにも指揮系統にもそれなりの準備がないと統制取れんだろし
Uターンしたかよ。
とかで判断の具体的な理由一切書いてなくて吹いた
作った奴光秀好きなんじゃねえかな
センゴクの作者に作り直して貰え
コロナ禍で凝った合戦シーンとかも撮れなくなった上に一生懸命作ったストーリーなのに
みんな駒をボロクソに叩くから
ヤケクソになって後は想像にお任せします!
最後は大好きな駒ちゃんのアップでも見てね。
終
柴田とかそれでしばらく動けなかったのに。
光秀も毛利に密使を送ったが、秀吉に捕まってしまった。
光秀が失敗したのってマヌケな密使のせいじゃん
秀吉は光秀の花押を知ってるだろうし
京都と備中までの早馬とか秀吉独自の連絡網があったんじゃないか
それで複数の情報筋で確認できたとか
信長はとにかく天守閣を高く強固に、部下の居住地をその次に、みたいな感じで
中央集権、独裁型の城を築いたのに対して、
光秀は石垣に古くなった墓石を使ってみたり、部下の居住地を住民より下の土地に置いたり、
あるいは山城をいくつも連ねてみんなで守る、みたいな感じにしたり、
支配地は道で全部つなげて交流をさかんにしたり、
とにかくあまり格差を作らずネットワーク型、権力分散型の組織を作るための
方向性を示したかったんじゃないかって言ってた
今の日本に産まれていたら、光秀は優秀な政治家や行政マンになってな。
でも、森元みたいなのがトップに来る社会や国だから、
光秀みたいな人がこの国のリーダーやトップに立てないね。
光秀は優秀な官僚タイプだろう
あえて政治家に例えるなら、古くは秀吉になぞらえた今太閤の角栄がいたために
政権を取れなかったプリンス福田武夫か
しかもその後戦闘
時速4キロメートルで1日6時間弱だから行けるだろ
秀吉本隊が到着したと言う事実だけで数に劣る光秀軍が崩壊するのも自然な流れ
そうでもない
近隣に味方がいっぱいいたはずだったからな
その味方が悉く参戦してくれなかった
それもまた秀吉のあれやこれやの力
秀吉本隊が到着してない時点ですら山崎の防衛線を突破できなかったからな
本体が来たらひとたまりもない
10日連続でなければね
いや、本来なら毛利との決戦が控えてたから、
まさに「事前に十分準備をしてその日のために体力温存していた」んだよ
とうとう成功しちゃったなと納得してしまうくらい
宗治が改名とかしてたのかと思って
ググってみたけど全然引っかからない
御座所っていう、援軍に来る信長&光秀の為の物資の集積所と宿泊できる施設と、軍用道路の整備してた記録が残ってるって
秀吉は、それを毛利側から食いつぶしていったんじゃないか
敵の城を兵糧攻めにしていたから、自軍は兵糧確保してたし
腰兵糧で2~3日分の食料持って、腰兵糧がなくなったら御座所に集積した物資を使う
武具は海路で別に運んだんじゃないか
まぁあの位置で信長討つのがやっぱり謎だけどな
色々あったんだろうなー知らんけど
それと、三代目家光!!
そして、日本の敵が、信長!!
簡単な、話だわ。
大軍が移動できるように街道が整備されていた
武器や防具はあとから何とでも調達できるのでまず兵士が軽装で移動した
これが海を渡る四国とか山しかない山陰とかなら状況は違っていただろうが
備前なら難所は船坂峠ぐらいなのでずっと楽だった
光秀の誤算は、秀吉の決断の速さだろうな
光秀の誤算は毛利が何もしないで秀吉の軍を見送った事だね。
●に体の上杉ですら柴田を動揺させて軍を動かすのを躊躇わせたのに。
それ以前とは時間感覚がまるで違う
信長は、各地の大名たちが防衛しやすいようにグニャグニャ曲げてた道を
真っ直ぐにし広くして、
物質や兵士を大量に短時間で迅速に送り込めるようにして来たそうだからね。
それを紀元前にやってた古代ローマってすげぇよな
ローマコンクリートでくっつけた石造建築って今でもびくともしないんだよ。
ただ、後世、建築材料にみんな石を持って行っかれて消えていったけど
秀吉が直々に光秀にあった時に「日向守様に謀反の噂があるが、どうなんでしょう?」
と、冗談めいて聞いたら
光秀が「けったいもない」
と、答えたと言う
秀吉はいつか光秀が謀反を起こす事を期待してたし、知ってもいたが、いつかは知らなかった
そして、光秀が秀吉軍の助けに来るという時点でヤマを張った
必ず、光秀は本能寺へ行くだろうと
と言うか信長が誰かしらに裏切られるのが予想出来てたんだよ
秀吉はアンテナ張ってただけ
それなのに少人数で京都の寺に泊まっていた信長・・・
その後
アジア全域、オーストラリアあたりまで領土にしてただろうな
歴史のタラレバ
あいにく制度を西欧化しなければ、新大陸経営なんてチートなスキルは得られない
ただ洋式帆船を作ればいいってもんじゃない。明治維新ならぬ天正維新が必須となる
当たり前をやらない国なんだよ。
明治政府もちゃんとやっていた
政権初期で一部に独裁させるとうまくやるのが日本
平和が長くなって民主的になると戦まで和を大事にしてダメダメになる
昭和の「陸軍だけじゃなく、公平に海軍にも仕事与えないとねー」とか、
まさにクッソバカ公務員思考
1にあるようにロジには全く破綻はない。
何言ってんだか。
まずは日本語勉強したら?
>>208
城跡掘り返して有名になった人
「食べたいんですけど……」
秀吉の行動力と統率能力は図抜けている。よほどうまいこと言って兵隊たちを釣ったんだろうな。
逃げ足も速いが、勢いがあって勝ちそうと思うと急に勝手に兵隊が集まってくるのも日本の戦の特徴。
「日本の特徴」というからにはあくまで「外国と比較して」ってことだろうけど、
それは日本の特徴ではないな
逆に四散して逃げるのが日本以外の特徴
一気に動いたから兵士も逃げなかったんだろうね
人間何もしない時ほど不安になるけど取り敢えず
動いてるとそれしか考えられないから
距離が離れていたから噂話が到達する前に手を打てたのが幸いしたんだろうね。
信長と家康で同盟組んでるぞ
この時代の物資の大量輸送は船がないとできないから
日本語で言え
その飛脚サボりすぎ
あほか、中国自動車道の方だっつーの(´・ω・`)
補給線と本国への退路が違うとか滅多にねーやろ。
そうでもない。
だって撤退する時ってだいたい予定外のことが起こって負けてる時だから。
例えば姉川の撤退戦だとロジは浅井の勢力下だから当てにできない。
秀吉軍を●ぬ気で追撃してたら
秀吉を明智と挟み打ちに出来たし
毛利が天下を取れた可能性もあった
(´・ω・`)
領土安堵されたらそれで目的達成の毛利に天下なんて取れんだろ
毛利が天下を取れたかはしらないが。秀吉はそこで終わってた。
毛利は山陰と播磨への影響力は回復、瀬戸内海の制海権も奪回まではいっただろう。
その後どうなるかはシラネ
織田家臣としての秀吉は終わっただろうけど
生き延びてどっかで再起するだろう
それはそれで見たかった気も
どうかな?
再起する時に頼るのは、この時代基本的に血縁なんだけど、秀吉にはそれがない。
それが有れば今川の倅みたいに能力がなくてもそれなりに格好は作れるけど。
>>250
発狂するようなキャラじゃないけど、こういう時は基本的に全員様子見になるからね。
結果的に誰も味方しなかったけど、秀吉が誤算だっただけで、柴田は北陸から動けず、家康は自身が生●の境をなんとか凌いでという状況だし、その他の武将はそもそもそんなに敵対的ではない。
細川とか言葉は勇ましいけど、なら軍を率いて討伐にすぐ立ち上がったかというと、嫁を幽閉して自分は坊主になったくらいで軍事的には何もしていない。
秀吉の大返しがなければ、朝廷とは太いパイプがあるから、親朝廷の武将と連帯できるし、その程度でとりあえず政権としての体裁は取れる。
各地の織田軍団は戦力を移動すると親朝廷の毛利、上杉などに追撃されるから一年とかのタイムスパンで動けない。
そうなれば、織田の日和見勢の中からも味方になる連中は出てくる。
その程度の見込みはあったと思うけど。
あれで仇討と言う大義名分ができた。
丹羽は反柴田で秀吉寄りだったからな
秀吉の名字が、羽柴秀吉で羽が先に来てる事でもわかる
織田家の中枢にいたのに、
かつては自分の足元にも及ばないというか、
口も聞けないくらいの下っ端の雑兵だった人の下によくつけたなと思わなくもない。
一部の部隊と共に備中には行ってなかったとかだろう
信長の主要な武将で味方になったの誰もおらん
秀吉、柴田、家康、丹羽、利家、細川
全員敵に回した
明智は勝算もなく 準備もなく
発狂してクーデター起こしたとしか思えない
無計画に突発的にやっちまった、が最有力の説だね
それは仕方ないだろ
周りを味方につけてなんて、地盤固めなんかやってたら奇襲出来んし
普段から人望無かったのが致命的だったかもな
光秀は自らがトップにはならず足利義昭の復権と
室町幕府の再興を前提として行動してたからな
その場合は毛利との連携が大前提となるし
機内有力者の説得と調整も必須になるから
信長暗●後の動きが停滞するのも無理はない
まぁトップ暗●しただけで国取れると思ってるなら相当なバカだよな
黒鉄ヒロシの説が好きだな
光秀はプロ武将
バット持ってるプロ野球選手にボール投げたら、反射的に打っちゃう
近畿が軍事力の空白地帯で、まとまった武力を持っているのは光秀だけ
それに気付いちゃった、天下取れると気づいちゃった、だからやっちゃった
戦国の男は、●ぬまでに一発面白い事をやってやろうという野望を持っている
光秀は50過ぎで、いつ●んでもおかしくない、だから●ぬまでに一発やってやろうとやってしまった
娘(ガラシャ)が嫁に行っている細川をあてにしていたが、細川は動かなかった。これで決まり。
麒麟の最終回では、細川に決意を漏らし、細川から秀吉に通知が言ったことになっていた。
逆に明智の無謀さも謎やわ
事前の根回しもなくいきなりあんなことして周りが付いてくると思ってたなんてキレ者らしさがまるでない
軍事的な視点から戦国時代を見ようという
当たり前に思えて今までなかった考えの人だな。
移動スピードからしてそんなに無茶苦茶な行軍でもないのに「不可能だ」とか大袈裟に言う奴が出てくるんだよな
一教科捨てて暗記したけどダメだった
もし細川が明智についてたら無理
結構秀吉は明智や自分以外の重臣謀反のタイミング待ち状態で備えてたんだろう
丹後は遠いぞ
手早く挙兵して援軍に来ようとしても、兵を集める時間もかかるし、大返しばりの速度で来なきゃならん
丹後だと京都まで2日かからんぞ。
丹後から京都まで120km
備中高松から京都まで230km
後者が10日でやいやい言われてるのに、前者を2日でやれって?
「これと同じにすれば、インパール攻略なんて簡単」牟田口
ごめん。丹波と素で間違えてた。
動けないと知っているから細川は中立を確約していたんじゃないの
細川が素早く中立を表明すれば筒井らも封じ込める
味方になってないのが
いかに光秀が無計画にやっちまったか証明してる
自分の最側近 親戚武将にも相談してなかった
家康に反旗を翻したが 宇喜多や大谷、上杉は味方になった
毛利が優柔不断でなければ 勝ってた
「徳川家康」という、強大で1人では倒せない、皆共通の敵がいたからな。
本能寺の変から1日半くらいで、そこまで密使が到達してるのが驚きだわ
無茶言って兵士が言うこと聞いてくれるかどうかだ
秀吉は姫路城の財産をひっくり返して超大判振る舞いして
皆を走らせたんだよ。財産ほとんど投げうって全張りしたの。
その思い切りあってこそ。
既存の領土の安堵に多少でも関心があるような奴には不可能な判断。
高速で移動した備中高松-姫路までは「敵地からの自分の家に帰る」だから言うこと聞いて当たり前
姫路から尼崎までは比較的ゆっくり進んだし、その後は丹羽とか摂津衆と合流して連合軍になってるんだから
一緒に行くの嫌がる奴なんていない
理屈になってない
うん、ゆっくり帰ろうなw
信長が●んで畿内がどうなるかわからん時にゆっくり帰るの?
●?
兵士にはどーでもいいことだよw
秀吉軍サイドの視点からすると
明智軍が機内で猛威を振るって姫路周辺を占拠、自分の帰るところが無くなる可能性を十分に考えられた
遠征軍が自分の変えるところを失う恐怖も想像できんとかヤバいな●過ぎる
●w
上が変わるだけで農民(兵士)にはどーでもいいことだw
逃げ帰るだけだわ
帰れなくなったーとか、ねーよw
敵地を進む時は伏兵とかに気をつけなければならないけど、自分の領地を通る時は早いんじゃないか
そこを「俺は軍事を理解してるから分かる!」で済ませてる辺り
バカかw
本能寺攻撃ありきで京都市を封鎖しなかったから大勢の人間が脱出を許す。信忠を打ち取れたのは逃げなかっただけの結果論。
山崎の合戦前も筒井順慶や細川藤孝など畿内の大名を味方につけようとしてことごとく失敗。
何がしたかったんだ?
たまたま信長信忠親子の周りに戦力空白ができたのを見つけちゃったんだろ。
信長の遺体をゲット出来なかったのが敗因だな。
野宿旅行した時、日没の何時間か前には移動をやめて野宿場所を探しておかないと、
田舎はホントに真っ暗になるから大変だった
こんなノリ
なぜ毛利が停戦破棄して後ろ突かなかったか
あの巨大な領土をたった一代で元就が拡げて亡くなったから意見まとまるわけないよ
それも秀吉は受け継いでる
戦いだけじゃなく、宣伝でも十分に実を作っていくんだよな
吉川元春は鳥取の一門の怨みで追撃したがった
なぜ小早川隆景と安国寺恵瓊は止めた?
小早川は中国地方の支配権が毛利に有ればいい
信長が●んで秀吉と組んだ方が利がある
実際に秀吉は大喜びで五大老に任じた位だからなぁ
>>318
なるほど
でも圧倒的不利な毛利にあまりメリット無い気がする
>>332
城は開城されただろ?
それからの大返しだぞ?
安国寺恵瓊は秀吉と繋がっていたのは確実。
毛利を裏切るというより、毛利を存続させるためにだけど。
多分というか自分の個人的感想だけど、小早川もこの時既に調略されていたと思う。
その後の小早川の異常なまでの優遇を見てもね。
表向きは毛利を出られないといいながらも、九州に出て行ったのは
小早川も秀吉と繋がりすぎて毛利には居づらかったんだろうよ。
地元を固めていればいい 中央には手を出すな
という家訓じゃないの
実際、今まで京を支配した連中はことごとく消えてる
そして信長も同じ目にあった
信長というカリスマを失った織田家は内紛で瓦解するのは明らか
高みの見物してればいい
秀吉は毛利の代表(恵瓊)に、毛利の有力武将がほぼ全員(5人だけ毛利)載っている(信長・秀吉に味方する)本物の連判状を見せた。
そこで恵瓊は諦めたそうだ。(偽物の可能性については知らない)
そう言えば、イラク戦争で、イラク(フセイン政権)の将軍は、ほとんど全てがCIAの手で、裏切っていたとか。
まあ主君を襲うようなヤツだしな
結果を見るに、そうなってしまうな
人望無いと信長軍の筆頭にはなれんとは思うが
何だろうなw
人望があっても一旦主君を●したとなれば地に落ちる。まあ人望云々より
細川や筒井が世渡り上手だっただけだろう。その点にかけては数々の局面で生き抜いてきただけに。
あったら仮に信長を討った時点で秀吉も抑えてそのまま天下取ってる
というか闇討ちする必要すらない
背後をつくようなバイタリティは輝元隆景にはなかった
離反者を出さずに撤退できたのが凄い
光秀が毛利に謀略仕掛けて何の得が有るの?
その専門家って●なの?w
生●が判明しなくても最初に駆けつければ、生きてれば勲一等になるだろうに
毛利方の謀略って意味じゃない?
ひできちは包囲が得意じゃろ、包囲されたら腹ペコじゃろ、腹ペコきついから包囲をとかせて食べ物入れたいじゃろ、そうだ信長がシンダって偽情報を流そうって事で
おにぎりが旨そうだったな。「負けたときはこやつら襲ってくるんだよなw」
とか考えながら観てた。
面白かった
戦後の歴史学は軍事の視点が欠落していると
歴史学者はもっと軍事学も研究しろと
競馬でも、確実な情報無くても、
ああ、これ八百長かまされそうやなぁって思うことがある。
「知将は敵に食む」の時代で、後方からの食糧補給なんて無かった。
戦国時代に途中から変わって行ったっぽいよ
小田原攻めとかから朝鮮出兵まで兵粮奉行という役職があった
信玄謙信とかの時代は無かったっぽいね
お前はいくら貰ってるんだ?
謙信が小田原を攻めあぐねて秀吉が比較にならない大軍で攻略したのは兵站能力の違い
特に謙信は度重なる戦で生産力も動員力もめちゃくちゃだった
毘沙門天はブラック企業の守護神w
>>357にも書いたが謙信はサンプルには不適当
もちろん他の武将らが善良だったとは言わないが生産にしても動員にしても労働集約しかなかった当時に
過酷な奴隷使役は自分の首を絞めるだけ
そういうデタラメ書くといくらもらえるん?
野盗じゃあるまいし苦労して勢力圏におさめたあるいは収めようとしてる地域から略奪してたら意味が無い
謙信とかは食い物奪うだけじゃなくて人さらいもしてるし、
そのせいで勢力圏が越後からあまり拡大しなかったのかもしれない
戦国時代でも10年単位で結構やること変わってる
そりゃ、チョ●のオマエの妄想だよ。オマエの本国の歴史といっしょにするな。
特に謙信は「聖人」とも言われ、「領民のために」という意識が非常に強かった。
敵国であろうと、その住民はやがて自分の領地下になるのであるから、略奪は一切してねえな。
今村均大将は、きちんと収奪しないから、大本営からおこられて、離島に飛ばされた。
ナポレオンとヒトラーのモスクワ攻略は、収奪不能で失敗した。
牟田口は収奪不可能なところを「現地調達をあてにして」何百km歩かせてインパール攻略に向かわせた。
帰りの補給基地もないから、白骨街道を造った。
あんなあ、チョ●。
日本の城には、西洋や中韓のような「城壁」が無いのを見ても分かるが、
城下の住民から略奪はしていないのだよ。
ファンタジー
確かな情報に基づいて行動するとしか考えられない人間は、
平時しか知らん人間やな。
タケノベルベット単勝とか、永遠に獲れない人種なんやろな。
大返りの秀吉軍を後背から追撃出来るし
側面に伏兵を配して混乱させることくらいはするだろう
そういう可能性を一切考えない根拠が書かれていない
退却の準備をしつつ、細河藤孝に確認が取れたのが大きかったのではないのか
人たらし、人身掌握に長けていたとされる偉人3人
この3人を比較したらどんな感じやろう?
龍馬は比較対象外だろw
駆け出しベンチャー企業の親分です、ってだけで
国を治める人じゃない
あくまで、人たらしとか、人心掌握力の比較やで
敵だらけでコソコソしてる身だからあんま掌握できてない
人たらしならまで西郷隆盛のほうがいいのでは?
本来なら敵である幕臣からも慕われたほどの
人望の持ち主だから
隆盛も実態とイメージの乖離が酷い人物のようだ
見た目(?)通りに鷹揚だというのは間違いで細かいことに拘る性質だったらしい
親譲りなのか計算が得意で大将より能吏タイプ
冷酷な判断をするかと思うとムダに悲観的になったりするいわゆる女性的性格とも指摘されてる
龍馬は人たらしで有名じゃないの
幕臣側、維新側ともに渡り歩いていたし
毛利が、上洛目指すほどの気概があれば、秀吉も追撃を恐れたやろな。
秀吉には、鳥取かつえさんとかで、毛利は上洛する気無しと思えたやろな。
「殿は生きておられる!」とか言ってたくせに
山崎後は一転して「やっぱ●んでたわw」とかありえな杉ー
本当に脱出できて秀吉配下の誰かが保護してたのを秀吉がこっそり●したんじゃね?
信長も光秀も●したら天下取れるのは自分だけだから
信長は桶狭間に全てをかけた。
秀吉は中国返しに全てをかけた(桶狭間の決断を見ている)。
信長が生きていても、毛利を倒したから、言い訳は何とでもつく。
(地震加藤くらいの功績は認めてもらえる)
鵯越とかハンニバルのアルプス越えとか、戦訓はたくさんある。
勝った武将は大きく伸び、負けた武将はそれまで(家康は例外。)
その密使だけで確証を得た何かがあったのだろうな
光秀に先を越された説は笑った
毛利から見たら、備前から東向こうの秀吉勢力なんか見えないからな。
追撃して備前落としても、播磨、摂津、
摂津に出れば、河内和泉山城丹後と接してしまうからなぁ。
手柄の独り占めしないなら、そんなに慌てず兵を出す必要性もない
謀反の時点で非常事態だから
密書が嘘なら織田家の危機を救うことこそが最優先だと焦るあまり判断をまちがいますた、いいよひできちは可愛いから許しちゃうつって生き残れる
署名はもちろん筆跡からも本物と判断したんだろう
なるほどな
毛利が追撃しても、備前で止まる、日数が掛かると、
俺でも思う。
織田の親族のみに利権が集中する構造を誰かが破壊するのを待つチキンレース
面白そうだな、詳しく
後世にまでずっと「狸」だのと蔑まれ成分の入った言われようになってるわけだが、
秀吉も実は全く同じことをやってるのに、
「狸」みたいな騙し屋、陰険な奴的な文句は言われてない。
秀吉は歴史を見る後世何百年の何十億人すらも
その魅力でたぶらかしてる
最近は研究がすすんで秀吉の実態がだいぶ変化してきてるようだね
実は冷徹で残酷な人だったらしいというのが最近の主流
あの頃の歴史というのは勝者が作る歴史、別の視点からも検証する必要がある
それこそ誘導だろ
聖徳太子をなかったことにしたがるのと同じ連中の仕事だわ
明らかにあっち系が絡んでそうだからね
具体的にもっとかいていただけるとうれしい
それ根拠のない個人的揶揄だから相手にしないほうがいい
まあ、それはないわな
まさに明智光秀の子孫の誘導によるもの
秀吉は信長を慕っていたから裏切り者の光秀が許せなかっただけ
明智光秀の子孫は自分の先祖の謀反は棚に上げて平気で光秀を破った秀吉を憎み悪口ばかりいいまくるからな
信長の晩年になると光秀は冷遇されてきたからね
そもそもその前期の光秀持ち上げも半分は信長の勘違いから来ているものなんだけど
信長の森蘭丸や長可とかへの異常なる寵愛を見ればわかるけど明智光秀のファンは重要な事を見落としているのな
実際に織田家は無くなっている。
世襲してこの時の織田家当主は信忠だぞ
なんかよく勘違いするやつがいるが
秀吉もかなり早い時期に関白を甥の秀次に譲ってるし、
信長、秀吉が時代への動きをしてなかったわけではない
ネトキムファンタジー聞かせて
舗装されてないぬかるみの中、防水の長靴がない時代だから草履での移動だし
馬に乗ってれば連中だけなら間に合いそうだが大半は歩兵だったわけだし
単純に行軍の速さで敵をだしぬいてるからな
敵も想定できないほどの速さで動いてたことは確か
講和の駆け引きは本能寺前からだよ
水攻めで物理的な戦闘が数ヶ月前から不可能だったので
毛利側は自領の安泰で満足だからな
それが当時のスタンダードだよな。
先ずは自領
織田陣営は当時の人々には異端に見えたに違いない
不思議でもないだろう
光秀討てなくても、
どこに居るのが有利か、
どこを押さえておくのが有利か、
備中備前を毛利にくれてやって、
播磨か摂津におる方が安全やし、再起も可能やわな。
光秀は変後に他の大名にそっぽ向かれたのが敗因だろ
行商人で育った子供のようだ
光秀が(山崎を抜けて)西進してきたら思う壺だと手紙に書いているのは本心だったのか
あるいは不都合があるのでけん制したのか
という問題のほうが軍事的には興味深い
牟田口「せやな」
足軽とかは常に●すか●されるかだからな
しかも常に徒歩移動で食料もショボい
今で言う特殊部隊員レベルが普通だったのかもな
・運よく直ぐに備中高松城攻めの蹴りを付けることができた
・秀吉の電光石火の行軍速度は信長仕込み
・秀吉軍は当時経験豊富な最強精鋭部隊であった
・兵站が整備されていた
・散財し兵の士気も高かった
・秀吉ができるだけ早く戻れるように道に松明を設置するなど対策を講じた
・毛利は保守的でやる気なし
内部分裂による混乱なのを忘れてはいけない
信孝・丹羽が明智光秀の一味に違いないと決めつけて津田信澄を攻め●したから
そんな争いしてたら混乱するに決まってるでしょ
三好さんの援軍扱いで無かったけ?
秀吉の時とは時代が違うからしゃーない
集中して圧●する秀吉と違って、各方面軍が全方位にバラバラと侵略するやり方だし
関東の滝川一益だって秀吉の小田原攻めに比べたら貧弱よ
そうでしょう?
真犯人の秀吉さん!
丹波戦で光秀細川組が八上城で攻めあぐねて居る時に備前戦もあるのに
秀長軍が黒井城にあっという間に現れて光秀を助けるふりして赤井を倒して将来の光秀の進軍ルート塞いでしまうのなんて神業。
銀河英雄伝説でいう
秀吉 ラインハルト
秀長 キルヒアイス
みたいな?
あの布陣で何故負けた?
徹底した防衛陣地を短時間で破るのは数倍規模の勢力差でも困難
どういう状況を指してるのかわからんが地形を選んで迎撃したのは光秀側
天王山をめぐって攻防を繰り広げたという参謀本部説はすでに誤りだと判定されてる
まあ天王山なんて守ったところで淀川の南側を抜かれるだけだからな
京なんか守れねーよと後醍醐天皇に食って掛かったのは楠木正成だったか
今通説化してるのは山崎隘路を抜けてきたところで決戦を強要し
撤退しにくい状況になったところで淀城から側背を突いて崩壊させるという計画だったという説
絵に描いた餅ではある
勢田迎撃案を主張する真田らに対して大坂首脳部は故事を引き合いに無理と断じたという話もあるな
真偽不明だけど
桶狭間奇襲説といい、旧日本陸軍の公刊戦史もでたらめなんだが。
なんで軍事のプロがそんなミスをするんだ?と思いきや彼らは軍人であって史料を読むのは素人だからな。。
古書を漁るのは本業じゃないからね
大東亜戦争でボロ負けした時点で、軍事のプロの称号もかなり怪しいw
例の漫画みたいな感じでシミュレーションでチートルール変更して勝った勝ったとかマジでやってそうだからな
お前は史料読むプロなの?
足軽の格好で出場するやつ絶対出てくるぞ
光秀って、摂津を地面としか見てないやろ。
淀川を押さえるって発想がないから、山崎を越えられないし、
淀川下流を飛び石的に抑える戦略が欠落しとるねん。
呼び掛けに従わない摂津諸将を脅す意味で、淀川を抑えれば良かったんやで。
実は大したことないのが光秀。
まぁ共犯説というこちらも都市伝説レベルの学説なぞるだけだが
大坂の陣で、家康は淀川を抑えてたと思うんやけどな。
適当な要所だけ抑えておいて放置、軍勢を無理には入れてないやろ。
信長は貸してる茶器返せよと、しかし光秀割っちゃったのでどうしようと、
こりゃ討つしかねえなという説。まあオレの妄想の類だが…
下天のうちをくらぶりきった感慨があったのかもしれない
明智が謀反を起こせそうな環境にあえて飛び込み
自身の運命の賭けをしていたのではないだろうか
そいつが捕まるとか倒れるとかの時の保険でもう一人違う道で行かせるとかないのかね
成功しても失敗しても四方八方が敵なのに。
どうやって守り切るつもりだったんだろ?
判らんから衝動的犯行説がずっと有力なんだろうね
そりゃ家臣共々必●になるわな
秀吉を黒幕だと思ってる人間はねねと大政所が長浜にいたこと知らないからな
安土城は占領されて光秀は財宝を家臣に分け与えてたから信雄は放火したんだよね
明智光秀吉
伊賀ルートのがやばない?
船の場合、船頭とかに裏切られたら逃げ場ないって判断が働いた可能性があるからでは?
そういや昔裏切られて織田から今川につれてかれたな
>>457
それ俗説かもって話だけどなw
今川から織田だったかな?
丹羽と津田信澄が●し合いしてるし
家康視点だと織田家臣の誰が明智派か非明智派かわかんねーし
明智派が徳川をどう扱うのか、非明智派が徳川をどう扱うのか、何もわからない
誰も信用できない
自前の船が堺にあれば、問題ないが、
チャータしてとなると、値段交渉から何から面倒くさいし、
船上で裏切りに会う可能性もあるし、
迅速には事を運べない。
あの人心掌握術と抜け目なさは角栄譲り
他の派閥にも影響力がありとにかくどんな業界にも顔が広い
船で逃げるってのは、実は難しいねん。
寄港できんかったら終わりやし、寄港して捕まる可能性大。
逆バージョーンやけど、
バルチック艦隊とか、極東を北上して日本海に向かう頃には、ヘロヘロになってるやろw
船で逃げるってのは難しいねん、博打やで。
関ケ原島津の瀬戸内海船旅とか、奇跡やでw
高松城の水攻めってずっと四国の高松だと思ってて
頑張って瀬戸内海渡ったんだなと思ってたよ(´・ω・`)
フネ、艦隊って、相当な信頼関係とか結束力が無いと、使えないんよ。
物理的なことより、
なにより本能寺の変で信長が●んだっていう絶対の確証がないとこの判断はできない
もし誤情報で信長が生きてたりしたら、戦線放り出して勝手に帰るという軍務放棄の切腹モノだもんな
密使を捕まえたから~ぐらいでそんな判断できるものかと思うから、
事前に察知してた、あるいは黒幕じゃないか説が出てくるんだよね
同じく遠征軍の柴田勝家、滝川一益、安土の地元の人々ですら最初のリアクションは
「は?マジ?にわかに信じがたいからもう一回確認するわ」だから
柴田から秀吉無断帰国やって信長きれさせてるからな
一度勝家と喧嘩して戻ってヤバかったからな
これがフェイクなら二度目は確実に●だろうしな
秀吉は北陸戦線で勝家とケンカして帰るとかやってるし、
近代の軍と違ってフリーダムな部分はあるよ
怒られても申し開きしたらOKみたいな
いやいや、京都から秀吉の元に知らせに行った奴はいただろ
なんで情報が密偵しかない前提なんだよ
地理的にも信孝から報があったと考えるのが自然だよな
現に信孝長秀は秀吉の援軍が到着する前提で守りを固めていたし
信長に援軍頼んでんだし、何処に何時信長が到着するのか、連絡係を置いてたんじゃないか
抜け目ない秀吉のことだから、目いっぱい接待して、信長にゴマスリしようと考えてただろうし
側近の長谷川辺りから確かな情報が来たからじゃなかったかな?
いくつかの密使の中でも信長側近の情報源は疑う余地ないだろ?
秀吉は普段から信長情報が迅速に得られるように、側近衆をてなづけていた
光秀さぁ、信長●したら、さっさと丹波に引き上げればええのにな。
京都にこだわりすぎやわ。
朝廷ってか公卿の支持取り付けに手間取った説をどっかで読んだ事ある
光秀の領地は坂本と丹波に分断されてる
引っ込むって言ってもどっちか捨てたら捨てた方に住む家族や家臣が大変
光秀は家臣をリストラせざるを得ないくらい領地を減らされてたみたいだね
なので大返しのルートは整備もされてるし敵も居ない領地なので差程驚く事ではないよ
山崎合戦も実際には秀吉の戦力ってより信孝や丹羽の戦力使ってるし
関ケ原逃亡中に、中馬大蔵が島津義弘に飯を食わすな!
輿を担いでる奴に食わせろ!って言ってしまうねんけど、
家康が船に乗って逃げる時、漕ぎ手にこんなこと言われたら斬り●すやろw
そっから船内は乱れるんよw
フネは難しい、相当な忠誠心とか結束力無いと、危険。
竹中平蔵とか半兵衛の子孫って話もあるし
でもまあ歴史は繰り返すから徳川に滅ぼされるんですけどね結局は^^
中国路の準備はより入念だったと思われる
信長の野望チート島津氏って、船パワーも凄いと思うねんけどなw
設定が低い目やねんなぁ…
こう考えるとスッキリする
実は大返しなどしていない
毛利とはとっくに水攻めの前から握っていた
旗指物で撹乱するの黒田官兵衛の十八番ww
桔梗紋の旗偽造して信長撃ち取る事なんて全盛期の秀吉軍ならたわいもない。蜂須賀党なんて暗●は御手の物だろw計略やらしたら信長配下では一番旨そうw
秀吉だなw 秀吉「敵は本能寺にあり!」
最高司令官なんだから何でも思い通りできて当たり前だろう
広めてたのが従弟の大山巌。上野の西郷さんの銅像の恰好はおかしい言う
話もあるが、大山さんが寧ろああいうイメージを広めようとしてた可能性がある。
御ツマキが本能寺前年に●亡したのが光秀の転落の始まりなんじゃないかと思ってるけど
秀吉は後から悠々だろ
案外、信長が俺も行くでって言うておいたことが、
秀吉の勝因かもしれんなw
ああ、うるさいの来るわぁ…と思って、
ちゃんと道路やらなんやら整備しておいたのかもしれんしな。
織田家家臣でのちに秀吉に仕えた人がだいぶ後になって書いたものだからな
普通に考えて主観入りまくりでどこまで信用してよいのか
太田牛一は元々は柴田勝家の家来だぞ
それは信長が光秀を信用していたから
だから本能寺の変でも息子の反乱をまずは疑った
安土と京を行ったり来たりするのは日常の政務だったからでしょ
軍を相手にすることは無いから、暴漢や野党からガードするくらいいれば十分
配下武将の軍に襲われるとは夢にも思ってなかった
信長は森蘭丸を信用し次に光秀を信用し息子の信忠の謀反に警戒していた
後期では光秀を罵倒しつつもわかってくれていると思っていた
光秀がやったことにしてしまおう 今で言うなら冤罪か
新説 秀吉は姫路にいた 大返しはファンタジー
水攻めもファンタジー
会津プロパガンダで嘘ついてただけだった
し、負けも解せない
やらせだ
森蘭丸との恋仲で想いが募り、山奥で暮らしたのだ
ホモで出奔 では恥なので、光秀の粋な計らい、気を利かせたのだ
天王山の戦いでは小田信孝の2万の軍勢も向かってたから時間が経てば兵数で圧倒的に劣る光秀の敗北は避けられなかった
そのため積極的な攻勢にでるしかなかった
その結果側面がから池田恒興らに奇襲されて明智軍は総崩れ
小田信孝→織田信孝
言葉悪いけど、信長は尾張の田舎者やねん…
畿内は全部自分が押さえたという錯覚やな。
京都にだまされたというか…
油断やなぁ…
抑えてたんやで?
光秀が治安担当だっただけで。
(-_-;)y-~
それが、畿内に住んだことない人の発想やねん。
光秀以上の治安担当者が現れたら、ウェルカム!\(^o^)/しちゃうのが京都で、
京都がそない言うならって従うのが近畿w
実は二傑はわしが育てたっていう光秀が一番好きだ。
日本史最高のトリックスターの1人。
光秀を過大評価しすぎ
子孫の煽りに気がつこうな
光秀は信長のお気に入りの一人で出世しただけ
で実際には息子の信忠や森蘭丸や長可の方に期待していた
評価も何も
信長を光秀が●したことで
秀吉と家康に天下が巡ったんだよ
やったことがトリックスターのそれだろ
能力がどうのじゃなく、●したのがすごい
本当に本能寺の変はあったのか
あっても謎のなりすましの桔梗の旗にぬっ●された説がすんなりくる
コンビニで弁当買うんじゃないんだから(´・ω・`)
たらればやけど、天皇を京都以外に移しておいて、
小軍勢で畿内行動しかないやろな。
うむ
室町時代の初期に「比叡山にでも逃げてください」と帝に進言して却下された武将がおってな
京を守ることを厳命されて
仕方なく湊川で戦って勝てないから腹切った悲しいお話
まあ歴史研究家がいい加減なのは確か
近代以降も、独ソ不可侵条約に気づかずに、内閣総辞職したりwww
ヤルタの内容知らずにソ連に和平の仲介頼んだりwww
むしろ秀吉は諜報上がりだから、異質
戻ったとしてもお咎めはないだろうしな
陰謀でないならその辺の計算だろうな
何がなんだかさっぱりわからんw
物理スレとか数学スレで「???」なってる奴はこんな気持ちなんだろうな
麒麟がくる、光秀視点で描いた作品はガンダムならシャア視点であり
とても面白かった(笑)
個人的には光秀=天海は「あり」と思えてきた
ないぞ
天海の前半生ちょっと調べてこいよ
●して入れ替わったとしても今度は年齢が合わない
義経チンギスハン説とかわらん
天海のやり口は豪快で
普通にお勉強した坊さんとは思えんがな
その豪快さが、光秀とも合わんが
現代でも位が上がったり偉くなるほど周りの人を信用できなくなると良く聞くから、信長も甘いところがあったんやね
信長から見たら、秀吉の方が怖いやろ。
怖いから遠くに出すわけで…
その辺に付け込んだのが光秀やろなぁ。
こういうの笑える~
季節的に道路は雨でぬかるんでて足場悪くて走るのには最悪
蚊やアブなど毒虫も大量発生してる
熱中症やケガ、病気落伍者が大量に出そうなもんだが
そういう話は聞かないね
ジャングルで野戦するわけではないから
備中から京への街道移動してくるだけだからな
それは整備されていない道だね
補給路はある程度は整備されていただろうよ
自国内とはいえ関所や狼煙を備えた物見櫓が各地に点在していただろうに誰何されることなく行軍できたのだろうか
関所や物見櫓があるほうが安全が確保されるだろ
平素からの行軍路であり物理的にも可能だった
大阪で援軍を待ってる味方もいた
ここまで揃ってまだ「普通ならもう一回確認するだろ~」とか言ってるド凡人に天下は取れんわな
信長●んだ ← これを確実だと即断するのは結構ハードル高い
謀反されただけならどこかへ落ち延びてるかもしれないからな
そして実際信長の●体はなぜか見つかっていない
柴田滝川のところへも情報自体は大体秀吉と同時期ぐらいに届いてる
なぜか秀吉だけが即断して全速力で帰る
毛利との講和にしても、信長が生きてたら指示仰がずに勝手にやった命令違反になるからな
まあ秀吉は信長は生きているといろいろな人に書簡を送っていたけどね
何の確証もないのにおかしいよな
で、光秀を討った途端に遺体も見つかってないのに「●にました!」って
周りは不審に思わなかったんだろうか?
光秀がやらなくても秀吉が織田家滅ぼして乗っ取ってただろ
Q 急に
B 部下が裏切って
K きやがった
尻に火がついてたのは家康でね?
信長視点、こやつは戦●してもいいやー
秀吉>光秀>柴田>家康
こう思えて仕方ない。
やっぱり、逃げ帰るのは美濃か尾張やろうしなぁ。
秀吉を近江から剥がして、備中へ。
前田利家が不甲斐なかったな秀吉より格上だったろうに
見て来たように語る人ばかりや
返し自体は、不思議じゃない
段取りが異常にいいんだろ
秀吉らしい、内政のノウハウの活用だろう
光秀の事を知ってたかどうかは知らん
ただ、予想はできる事だ
光秀は最後は信長に何度も怒られていた
でも信長本人はそれをしつけの一環と思い問題ないと考えていた
信長もどさくさに紛れて逃げ出したかもしれんよな
与作も夜陰に紛れて逃げ出してるしな
その後の消息は不明だけど
秀吉の天才っぷりは天下とった後の無能っぷりで帳消し
家康の無能っぷりは何度も●にかけ天下とって帳消し
本能寺の変を引き起こしたのは秀吉
家康と光秀は逃げた
そして月日は流れ関ヶ原大坂冬夏となり
麒麟がきた ~完~
攻めてきた軍が退却したら「まずは助かったー」じゃないの?
高松城の兵士たちは腹減ってボロボロだしもっと奥から遠征して追撃しないといけないけど、
状況もわからずにそんなことできるか?
小早川が必●で止めたみたいだよ
休戦を頼み込んでて渡りに船だった
頼むからさっさと帰って欲しかった
織田家の内紛で明智に肩入れする理由が毛利には無いと思うの
内輪で争うだけ争って共倒れになってくれればラッキーじゃん
情報が人を作るとはこのことだね
天然の天才なのか兵法を勉強したのかも知らんけども
秀吉の配下がはじめから居たとか?
よくわかったなw
チャドウィック・ボーズマンの弥助、見たかったなぁ。
信長から中国攻めの命を受け準備しついでに寺でおみくじ引いたら信長頃したらラッキーみたいな文言でも書いてあったんだろ
明智も独りで天下取りとかいう無謀な絵を描いてたんじゃないと思うんだよな
元々は柴田を除いた近畿以西の連合を組む算段だったはず
秀吉も加わると思ってたのではないか
(なぜなら細川やら丹波播磨周辺の国人らには味方になるよう送ってるから)
光秀としても当初の明確な敵は織田家と柴田ぐらいで、
しょっぱなから秀吉まで敵に回すのは想定外だったはず
ある意味そこを突いたとも言えるんだよなあ
光秀「マジむかつくよね」
秀吉「やっちまうか?」
光秀「やろう」
秀吉「おねがいしやーす」
………
光秀「やったぞ」
秀吉「信長様がやられた!!光秀ゆるさねー」
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